桜の記憶~その拾壱

 

あれはもしかすると
大好きだった叔母の49日の法要だったのか・・・

変わり者だった
「叔父の父親」が作ったという
当時はまだ珍しかった地下室の床は
素足にひんやりと冷たくて
遠足で行った鍾乳洞のように薄暗く、
子供の冒険心を掻き立てるには十分だった。

本棚にぎっしりと詰め込まれた
分厚くいかつい本や
壁に掛けられたどこか暗い色彩の絵画。

オレンジ色に鈍くぼんやりと灯るオイルランプ。

階上で
和やかに笑いさざめく大人たちの
にぎにぎしさとははるか別の世界。

 

文学少女だった叔母も
きっと
この地下室が大好きだったに違いない。

このひんやりと冷たい床に仰向けに寝そべって
一心にページを繰る叔母の姿を想像した。

 

実際には
嫁ぎ先の父親の部屋で
そんなことはできなかっただろうけど
子供の私はその空想にとても満足していた。

かくれんぼや追いかけっこをしたわけでもないのに
なぜか
この異空間でのさまざまな思考の旅にぐったりと疲れ果て
そのまま眠ってしまったようだ。

 

からだがふいに浮き上がった感覚にぼんやりとしていた。

ゆらゆらと揺られるはじめての感触は
父の背中だった。

暖かい揺りかごのような父の背中で
はっきりと目が覚めた。

“お父さんにおんぶされてる”
緊張で手のひらまで汗ばみ
“抱かれ慣れない猫”のように
全身が強張っていた。

きっと
父は気づいていただろう。

気づいていながら
強張って重さの増した子を
黙っておぶって歩いてくれたのだ。

眠ったふりでもしなければ
親にも甘えられない。

寝言のふりでもしなければ
ホントの気持ちも伝えられない。

 

そんなひねくれたわたしの性格はこの頃から
ちっともかわっていない。

桜の記憶

 

からふる きりんさんのさくらほのか – 写真共有サービス 「写真部」 byGMO

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