愛するもの~マイリトルフォレスト

ほんの数か月前、

この上ない「しあわせ感」に浸っていた。

 

あの時は、

そのしあわせの根源は

「なんでも自分の思うまま」という、

ストレスなしの自由さだと思っていた。

 

もちろん、それも大いにあるのだけれど

一番大切なモノは

「愛するもの」の存在だった。

 

いつも

あたりまえのように存在していたものだから

それが

決して「あたりまえ」ではないということに気づけなかった。

 

わたしのリトルフォレストは

この懐かしい匂いのする家(うち)ではなく、

そこに一緒に暮らした「愛するもの」そのものだった。

 

一週間ほどまえ、

急に淋しくなって

「ちゅら、会いたいよ~」と泣いていたら

スピーカーから流れていた音楽が

「ジジジッ」と変な音がして一瞬止まった。

「えっ?!」

”ちゅら”に叱られてるような気がして

「ちゅら??、ごめん!」

「ジッジジッ」とまた一瞬止まって

流れ出した。

 

あぁ、ちゃんとそばにいる。

心配してる。

いつまでもメソメソしてちゃいけない、

しゃんとしなきゃ!!

 

最近、”うらら”の甘え方がますます”ちゅら”に似てきた。

ちゃんと見てたんだね。

猫は、うれしかったことしか覚えていない

 

一か月ぐらいまえに買った

「猫はうれしかったことしか覚えていない」

まだ、全部読んではないけど

「あるある」で面白い。

”ちゅら”も

はじめて出会った日の「ウインクキス」のことや、

お外に脱走して半日遊んだこと、

毎日一緒に寝たポカポカ暖かい布団。

そして、

「最後のキス」をちゃんと覚えててくれるかな?

 

もう、泣かないからね。

リトルフォレストを受け継ごうとしてくれてる”うらら”のためにも

もう、絶対泣かないからね、

ちゃんと見ててね、ちゅら。

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